帯広工 業団地の概要

「着手〜これまで」
 昭和三十七年、財団法人帯広市産業開発公社が道の設立許可をうけて発足しました。
 公社は、国や道の開発計画にそって本市総合計画の一環である「公害のない緑の工場公園」造成を目標に工業用地取得に着手しました。
 市理事者の説明努力、西帯広地域住民や町内会員の理解と協力のもとに、内陸工業団地としては日本一広大な計画面積六百二十五万平方メートルの地積実現をめどに進められ、売却農家のその後の生活設計は、市の助言はもとより西帯広開発期成会と工業 団地協同組合の努力により立てられました。
 こうして、年とともに市内中小企業の集団化や、関連産業の合理的集約配置に力を注ぎ、さらに道外からの企業誘致につとめたのです。
 市は、三十七年当時、工場誘致案内を各地に出していますが、
その要領は、
 1.全国屈指の良質豊富な用水と地下水、十勝川の河川水の利用。
 2.金属のさびない地、気象要素、大気中の亜硫酸ガス、海塩粒子が少いこと。
 3.北海道内陸経済圏の中心、交通の中心。
 4.十勝産業の構造改善と日本畑作農業の典型化と拡大。
 5.工場公園の最適な用地の大量入手。
 6.快適な生活環境として、近代的田園都市。
以上の美点を強調して工業団地設置案内を道内、本州方面に出し機会あるごとに理事者が出向して誘致につとめました。
 企業入居の状況は、初期は順調に進んだとはいえませんでしたが、経済の高度成長にともない、近代化の体質改善・生産体制の拡大・労働対策としての基盤強化、地域の発展などが理由になって、入居契約企業が増していきました。昭和五十六年現在で、財団法人帯広市産業開発公社との契約入居者のほかに買収不能の地積が少しあって個人売買の入居企業もありましたが、これらを加えた状況は、建築業・機械鉄工業・車輌整備業・農機具工業・食品加工業・木工業・運輸倉庫業・紙加工品製造業・電気機械器具製造業・化学工業・製穀製粉業その他であり、団地の関連施設などとして、産業技術センター・高等職業訓練校・市消防などがあり、また十勝バス営業所兼倉庫も移転してきて、二百余に及びました。

「立地条件」
 交通輸送施設の道路は、道央方面と道東釧路方面を結ぶ国道三十八号線が団地内の中央を横断し、団地内を南北に延びて南方に通ずる十号道路、工業団地内の主要サービス幹線や市道が整備され、また昭和四十三年に落成した国鉄西帯広貨物営業センターも貨物集散に適応する施設を整えています。
 そのほか、施設拡充計画などによって、地区会館の落成・雇用促進事業団アパートの落成・住宅地区ニジルシ橋の竣工・団地内野球場やグラウンドの建設が進んだ。帯広三条高校の新築移転をはじめ、帯広盲学校、帯広聾学校、帯広養護学校が次々と建てられ、さらに付近に帯広大谷高校も新築移転して、学園地区となりました。
 また、つつじが丘霊園も団地の西郊に市民の遊歩厚生の場として造成されています。
 西帯広開拓の先覚者ゆかりの津田公園も新設され、自然の姿をとどめた由緒ある公園として利用されているほか、西帯広工業団地完成は昭和五十八年度と、当初の計画よりは遅延したが、五十三年十月、工業団地造成十五年記念式典が行われ、用地提供者二百六十一人の姓名を刻んだ記念碑が団地内公園用地に建てられました。
 西帯広工業団地は、今や帯広といわず、道東、全道の産業基地のひとつとして発展が期待されています。
 このように、発展変貌した姿を、昔の伏古を知る人々は驚異のまなこで眺め、市民は大きな希望の地としています。